猫の書斎2

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93年発行『ゲーム・オーバー』は令和元年に読むといろいろと感慨深い一冊

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『ゲーム・オーバー』

『ゲーム・オーバー』デイヴィッド・シェフ著、篠原慎訳(角川書店


任天堂が、アップルやグーグルやマイクロソフトのような、情報産業を牛耳る世界的IT企業の一社だったとしたら……

 

これは突拍子もない想定に思われるかもしれない。だって、任天堂ってゲームメーカーだし。オモチャ屋だし。確か任天堂も、自らの製品を多目的なコンピュータとしてではなく、あくまでゲーム機と位置付けていたはず(少なくとも、ぼくがゲーム機を買いまくっていた2000年代は)。

 

しかし、上記の可能性を真剣に検討した本がある。1993年に発行されたデイヴィット・シェフ著『ゲーム・オーバー』だ。

 

93年って……、26年も前やん!「今さら何?」とあなどることなかれ。ファミコン発売からの約10年という短い期間に、電子ゲームでちょっとした成功を収めたオモチャ屋から急激な成長を遂げ、世界的ゲームメーカーとして日本だけでなくアメリカ、ヨーロッパを席捲した任天堂の怒涛のサクセスストーリーを丁寧に描いた素晴らしい本だ。しかも、人間ドラマを軸にした展開は小説のようで、読者を魅了する。当時リアルタイムでファミコンをプレーしていた人はまったく古さを感じないはず(丁寧な描写のおかげで、読書に没頭していると数年前の出来事のように思えてくる)。当時の時代背景とともに同社の歴史を詳しい数字や人物描写でつづった本書は資料的価値が高く、若い任天堂ファンにとっても必読の書と言える。

 

だけどここで注目したいのは、四半世紀前の情報産業、エレクトロニクス産業の分析と当時描かれていた将来展望を、未来人の目からメタ分析できるという楽しい特典がついている点だ(もちろん、これは発行当初の本書の目論見ではないが)。

 

任天堂=侵略者という視点

 

本書を読み解くうえで大切のは、著者の視点だ。本書のカバー袖には下のような紹介文がある。

 

世界中の子供たちを虜にし、わずか900人足らずの人数で日本第三位の利益をあげる、任天堂。その勢いにはコンピュータの巨人IBMもマルチメディアの先駆けアップル・コンピュータも怯えている。京都の一玩具会社にすぎなかった任天堂は、いかにして世界を征服したのか。日本とはことごとく市場の異なるアメリカで、ヨーロッパで大成功を収めたのはなぜか。ドラマティックなまでの任天堂の成功を、膨大な取材をもとに詳らかにした渾身のノンフィクション。 

 

ふんふんふん。任天堂のすばらしいサクセスストーリーをつづった本だなと思えるが、なぜタイトルが「ゲーム・オーバー」なのか。読む前は意味がわからなかった。でも、よく考えてみてほしい。これは洋書。メイドインジャパンアメリカの産業を蚕食し、日米貿易摩擦がさかんに叫ばれた当時に、アメリカ人著者が任天堂アメリカでの快進撃を書いているのだ。手放しに、「ニンテンドー、すごいね」と称賛しているはずはない。たった数年で玩具業界の巨人になった不気味な会社の実態を明らかにし、このまま任天堂の快進撃を許しておけば、それはゲーム産業にとどまらず、いままさに興りつつあるマルチメディア産業が食い物にされることになり、そこに新たな市場を見出していたメーカーはすっかりお株を奪われてしまうだろう、と警鐘を鳴らす本だった。本書タイトルはマイクロソフトIBM、アップルなどアメリカのエレクトロニクス・IT企業に向けられた言葉だったのだ(たぶん)。このままいけば、あなたがたはゲームオーバーだ、と。

 

けっきょく26年後の2019年時点で言えば、著者の心配は杞憂に終わるのだけれど、93年のころを思い出しながら、著者の分析や当時の風潮を読むとなかなか面白い。すごい的外れな予測や、「マルチメディア」みたいな古めかしい単語に思わずニヤリとするというような楽しさもあるが、案外、予言通りになっていることが多かったり、2010年代になって実現する構想がすでに提案されていたりと、過去人もなかなかやるのだなあと、感心してしまう。

 

本書がどんな予言をしていたのか、その例をいくつか具体的に挙げてみたいが、その前に本書が発行された93年前後の状況を簡単に振り返ってみたい。

 

93年と言えば、ゲーム機では16ビット機争い全盛期。88年にセガが本格的な16ビット機「メガドライブ」を発売し(北米では89年)、それを追いかけるように、90年に任天堂スーパーファミコンを発売(北米では91年)。後れを取ったとはいえ、そこは任天堂ファミコンゲームボーイでしこたま稼いだマネーに物を言わせ、一大マーケティングを展開して、どんどん16ビット機のシェアを奪っていく。

 

当時は、ファミコンが日本で発売されてからまだ10年。日本で爆発的に売れ始めるのは、たしか発売の翌年、84年以降だったし、アメリカでは発売自体が85年で、さらにヒットを飛ばすのに1年半くらいはかかった。さらに、ファミコンの本体とソフトが任天堂の売り上げ構成比で最大(91.3%)になるのが88年度だったのだから、93年はファミコンの大フィーバーから数年、その熱まだ冷めやらぬ時期、巨人、任天堂の次なる一歩やいかに、という状況だったはず。そこへもってきて、89年に発売したゲームボーイが破竹の勢いで売れ、世界で累計1億台以上を売り上げるわけだから、当時の大人たちがその急成長ぶりに目を丸くしていたのは想像にかたくない。しかもアメリカ人にしてみたら、5,6年前まではまったく聞いたこともない無名企業が知らぬ間に上陸してのそれだから、得体のしれない会社、なにか悪いことをしている会社と考えられていても致し方なしという状況だった。

 

しかも、これだけ大勢の人たちが家庭でビデオゲームに接するというのも、世界的に初めての現象だった。当時は日米ともに、家庭用のテレビゲーム自体が珍しい時代で、子供たちがゲームに取りつかれて、勉強や他の遊びはもちろん、それこそ寝食忘れて没頭する様子に大人たちは恐怖すら感じていたらしい。日本でも「ゲーム脳」など、テレビゲームの子供への悪影響がまことしやかにささやかれたりした。それはアメリカでも同じようで、全米の親は子供がゲームに没入するのに不安を募らせていった。本書から思わず噴き出してしまった、親の反応を引用してみたい。

 

「〝スーパーマリオ〟の絵を見ればわかりますが」と心配でたまらない親がある雑誌に投書して、いった。「あの目は洗脳された人間の目です」

 

マリオの目は輪っかが何重にもなっていて、じっくり見つめているとたしかに異様で、なんちゅー頑迷なと思いながらも、確かにと思わず膝を打ってしまった。

 

日米で社会現象を巻き起こし、巨大なゲーム市場を創り出した任天堂だったが、本書発行のおよそ1年後にはプレーステーションという強敵に遭遇する。そして、Wiiで華々しい復活を遂げるまでの10年以上にわたって、任天堂は苦戦を強いられることになる。そう考えると93年にこの本が出たというのは面白い。そんな大きな変節が待ち受けているなんて、任天堂も著者も世論も想像だにしていなかった。なにしろ、スーパーファミコンの拡張機として、ソニーのプレーステーション(いわゆるプレステとは別物で、未発売)が開発されているところで本書の情報は終わっているのだ。そして、本書発行後のことについてもう一つ。Windows95が1995年に発売されるということ。インターネットが一般に普及し始めるきっかけとなったWindows95がまだ世に出ていなかったので、インターネットという言葉が本書には1回も出てこない。しかもウインドウズという言葉も1回くらいしか出てこないし、マイクロソフト自体の存在感も非常に薄い。わずか数年のずれによって、今の世界にとって重要な物が欠けた状態で描かれた本書の業界動向や未来予測を読むのは、パラレルワールドをのぞいているみたいでなんか楽しい。

 

インターネットを任天堂が作ろうとしていた

 

それでは、どんな分析や予測が描かれていたのか。

 

本書ではさかんに「マルチメディア」に対する期待がつづられている。なんて懐かしい言葉。でも、マルチメディアってわかるようでよくわからない。複数種類のメディアが、なんかいい感じに融合している画が想起されるけど、それって具体的にはどういうこと? 本書から引用してみたい。

 

マルチメディアの定義にもいろいろあるが、どの解釈にも共通しているのは、この新しい産業がテレビ、ビデオゲーム、ステレオ、VTR等のメディアを大容量の記憶装置(CDプレーヤーはその一例)及びセントラル・プロセッサーと結びつけるという点である。

 

はあ?である。「…セントラル・プロセッサーと結びつける点である」と言われてもね。なんのこっちゃだ。本書から感じられるのは、当時、業界もマルチメディアについてよくわかっていなかったのではないか、ということ。つまり、この何となく新しい感じのする合言葉のもと、何ができて、何ができないのか、試行錯誤で探っていきましょう、ということなのだと思う。ちなみに、上記CDプレーヤーとは音楽CDを再生する機器という意味ではなく、辞典や画像を収録したCDをテレビなどにつないで再生する機器だったと思われる。この時代、CDはまだ世に出たばっかで、その多面的な応用が大いに期待されていた。そんな期待の中、94年にプレーステーションが華々しくデビューするのだ。

 

当時の人は、マルチメディアにどんな夢を描いていたのか。

 

マルチメディア時代に入ると、対話型メディアが出現し、視聴者は、たとえば、放映される映画やテレビ番組の結末に影響を与えられるようになるだろう。……映画、テレビ番組、電子ブック等の〝視聴者〟はもはや一方的な受け手ではない。アンダマンの諸島に関するナショナル・ジオグラフィック誌の特集をのんびり見るのもいいし、特に興味をひかれた部分があれば積極的にかかわり、好きなページを順序にかかわりなく自由にめくることもできる。……ボートによる島めぐりの旅を乗客の視点から経験することもできる。もちろん、ボートをどこで止めるか、どこを探検するかも自分で決められる。ビデオゲームのように映画を〝プレー〟するこのだ。

 

ああ、とっても懐かしい感じがする。この夢の描き方。メーカーが提示する未来像って、とっても高尚なんだよね。みんながお上品で、知的で教科書的な理想像みたいな。漫画なら、ポワワ~ンって擬音が付きそう。ただ、上の例は結構実現している。電子ブックは一般的になったし(「…好きなページを自由にめくることができる」には紙の本でもできるだろっとツッコミたくなるが)、ボートの部分はグーグルストリートビューVRによって実現しつつある。映画をプレーは、ある意味ゲームが映画に近くなって実現した感じ。

 

しかし当時にあっても、この未来像が実際のニーズとすこしずれていることが露呈している。

 

発売当初からソフトウェアもかなり存在し、いろいろ素晴らしいことができるという触れ込みにもかかわらず、CD-I(家電メーカー・フィリップスのCDプレーヤー)もCDTV(パソコンメーカー・コモドアのCDプレーヤー)もあまり売れなかった。
インタラクティブな童話やスミソニアン博物館の収蔵品を鑑賞できる教育的プログラム。

 

このように、高尚なソフトは、ごく一部の層にしかニーズがなく、そのころ開発が盛んだったらしいCDプレーヤーを一般大衆に浸透させるほどの原動力にならなかった。そこへいくと、任天堂はとてもいい位置につけていると思われていた。

 

マルチメディア・マシーンの販売増を願うなら、充実したマルチメディア百科事典を備えるより、任天堂の新しいCDゲームを争って求める子どもたちを動員するほうがずっと効果的だ。

 

しかし、任天堂がその優位性をいかんなく発揮するのを各メーカーはだまって見ているつもりはなかった。タイムワーナー、モトローラ、ルーカスアーツ、松下電器産業(現・パナソニック)とその子会社MCAは、CDを媒体とした32ビットゲーム機を導入した。3DOリアル(!)である。任天堂キッズだったぼくは、3DOリアルを得体のしれないマシンだとしか思っていなかったが、あっというまに消え去ったことだけは覚えている。しかしその未来像はかなり先進的だ。

 

このマシーンは、おそらく、電話回線とCATVのラインに接続されることになるだろうが、そうなると〝プレー単位料金制〟ゲームへの道が開ける。タイムワーナーあたりがCATVのネットワークを通してビデオストア向けのいい映画を家庭に送り込み、消費者は3DOで好きな作品を選ぶことができるようになる。

 

これはここ10年以内に一般的になったサービスではないか! スマホゲーム、Netflixなどの概念が90年代初頭にすでに考え出されていた。ただ、それらを可能にする技術が普及するのはかなり先だったし、なにより、悲しいかな、3DOリアルはまったく売れなかった。ここでも、ソフト問題にメーカーはぶち当たった。マシンを買わせるには、任天堂のゲームのような客の本能に訴えるソフトが必要だった。

 

ソニーの社内筋によると、「任天堂が16ビット戦争の勝者になる公算大と見て、同盟を結ぶしかないという結論に達したのだ。任天堂がつかんでいる客にアクセスしたかったからね」……任天堂ソニーはようやく思惑の食い違いを克服し、両社のCD-ROMプレーヤーに互換をもたせることになった。……こうして、山内溥ソニーに対抗して立ち上がり、マルチメディア世界でも支配権を掌握することに成功したのである。

 

当時のマルチメディアがどこまで想定していた言葉だったのかはわからないが、本書を見る限りそれはかなり広いもので、いまのインターネットの大部分を想定していたように思われる。本書では、ファミコンスーパーファミコンを介したネットワークによって、いまのインターネットの役割を任天堂が演じるという、山内溥社長(当時)の構想が随所に描かれている。

 

何の変哲もない灰色のゲーム用マシン〔北米版のファミコンスーファミの色は灰色〕の裏にパネルが一つ嵌め込んである。これを外すとコンピューターのケーブルコネクターが見えるが、これはメイン・プロセッサーに通じる送受信用の接続部で、この存在によって任天堂システムはモデムやキーボード、あるいは補助的な記憶装置につながるターミナルとして機能しうるのである。任天堂システムを居間に持ち込んだのは子供たちで、彼らはそれをゲームとして歓迎し(そして崇め)たが、じつはその内部に、アメリカ最大の電子ネットワークの統合コンポーネントに変貌しうる潜在的な能力を備えていたのだ。電話をつなぐだけで、ショッピングをしたり、映画の批評を聞いたり、豚の脇腹肉を買ったり、調査研究の手段となったり、航空券の予約をしたり、ピッツァを注文したり出来るのである。

 

ご存じのとおり、これを実現したのはインターネットやそれにかかわる無数の企業たちで、任天堂ネットワークではない。しかし著者は、この構想を実現するのは、優れたソフトを大量に抱える企業であって、任天堂はその中でもっともいい位置につけていると考えていたのだ。「山内溥ソニーに対抗して立ち上がり、マルチメディア世界でも支配権を掌握することに成功したのである」とあるように、任天堂はそのための重要な一歩をすでに踏み出しており、アップルやIBMマイクロソフトはゲームオーバーかもしれない、と。

 

これは、著者の深読みでは?と思う向きもあるかもしれない。何度も言うが、今の任天堂とはイメージがちょっと違うからだ。でも、山内溥にはそういう事業構想があったのはどうも確からしい。

 

彼〔山内溥〕はいう。「…玩具会社が単なる玩具会社にとどまるかぎり、ほんとうの意味での大企業、偉大な企業にはなれない。われわれにはもっと大きな野心がある。これまで厳として存在していたビデオゲーム業界を取り囲む強固な枠が消えてなくなったとき、任天堂は世界でもっと大きな役割を演じるようになるだろう」

 

任天堂をここまで大きくした山内溥はほんとうに稀代の経営者だったのだろう。10年、20年若かったら、もしかしたら、世界的なインターネット関連企業に任天堂が実際に名を連ねていたのかもしれない。そういうパラレルワールドを想像してみるのも面白い。だけど実際は、たぶん、山内配下の幹部たちはゲーム会社、玩具会社としての矜持をもっていたのではないだろうか。儲かるビジネスや世界を結ぶネットワークなどではなく、おもしろいゲーム、だれも体験したことのないゲーム体験を追求したのだ。だから、Wii やSwichができた。勝手なイメージだけど、任天堂ってそういう職人気質の社風なのではないだろうか。

 

アップルやグーグルと並列して任天堂が語られる未来も悪くない(本書を読んだ今、そういう未来が来ても不思議ではないと思える)。でも、ファミコンでゲームを初めて知ったぼくは、あくまでゲーム会社を貫く任天堂はやっぱり好きだな、と改めて思ったしだいである。