猫の書斎2

本と猫のことを中心にいろいろと書きます

ローカル鉄道にあふれる地元への思い

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『線路のない時刻表』

書店でこのタイトルを見たとき、何とも言えず、心惹かれてしまった。

 

裏面の説明を読むと、こう書かれている。

 

開通が待ち望まれた鉄道新線。国鉄の末期、完成間近になって工事中止となった新線への思い断ちがたく、著者は計画上の路線をたどり、すでに敷かれた路盤に立って、車窓から眺められたはずの風景や現地で出会った関係者との交流を描いた。

 

国鉄民営化の時代の話。いよいよ、こういうレトロな話題に興味が出る歳になったのだと思う。と同時に、なぜだか日陰側の存在に興味を惹かれる自分を再確認しながら目次をめくると、さらにキーワードが――「宿毛線」。宿毛高知県西端部にある市の名前。高知県出身のぼくは、次の瞬間、もう足がレジに向かっていた。

 

さて、本の説明を少しすると、この本は鉄道には乗らない鉄道紀行ものだ。上の説明文からもわかるとおり、工事が中断してしまった路線なので鉄道が通っていない。だから、鉄道に乗ることは叶わず、路線のそばを車で走ったり、できたばかりだけれど使われるかどうかは未定のトンネルをのぞき込んだり、まだレールの敷かれていない路盤を歩いてみたり、駅予定地周辺の様子を見てみたりしつつ、国鉄としては廃線、工事中止が決定されたことに対する地元住民や村長、町長、工事を指揮した鉄建団(日本鉄道建設公団)職員の思いを聞いて回る。そんな本だから、自然、全編にわたって哀愁が帯びる。国鉄から「また赤字路線を増やしてくれた」とイヤミを言われた鉄建団職員や、全身全霊、鉄道誘致に奮闘しながら開通を待たずに他界してしまった自治体長など、やるせないエピソードばかりを集めている。

 

そんな調子なんで第1章の智頭線では、うかつにも目頭が熱くなってしまい、「いま、智頭線はどうなってるんだろう」とネット検索してみた。播州の田舎に敷かれた路線だから、錆びた駅舎跡やレールなど廃墟のようなものを想像していたら、なんと、智頭急行として黒字をたたき出していることが判明。ほほぅ、それはヨカッタと、ページをめくると、「開業 1994年12月3日」とある。後日談までついているとはなんと充実していることかと感心しながら読んだ後、表紙をよく見ると、本書タイトルはただしくは『全線開通版 線路のない時刻表』だった。つまり、この本に取り上げられている5線(智頭線、北陸北線、三陸縦貫線樽見線宿毛線)は、国鉄としては工事中止の憂き目にあったが、最終的には第三セクター鉄道として、どれも立派に開通できたものばかりなのだ。しかも、その5線のうち、智頭急行三陸鉄道、北陸急行は第三セクターとしては優等生だ。ただ、三陸鉄道東日本大震災で甚大な被害を受けたし、北陸急行は、2015年に開業した北陸新幹線のために特急を廃止した影響をもろに受け赤字経営に転落してしまった。

 

そういった最近の逆境は置いておいて、第三セクター鉄道の奮闘ぶりには目を見張る。特に三陸鉄道はその手本となった。昭和55年(1978年)に施行した国鉄経営再建法によって国鉄から見捨てられることが決まった後、おおかたの沿線地域がさまざまな抗議運動を展開したのに対し、三陸鉄道は翌56年には第三セクター化をいちはやく決め、三陸鉄道株式会社を設立、59年に開業した。そして初年度、9800万円の赤字を想定しながら、その予想に反して3000万円の黒字決済となった。

 

この背景には、路線の無償貸与や、未完成区間の工事費を国が全額負担するなどの破格の好条件もあった。でも、もちろん三陸鉄道の努力も大きいと思う。ひとつは私鉄の効率的な運営を採り入れたこと。国鉄だったら運転士は運転しかしない。ところが、地方では乗客が少なくそれでは非効率なので、三陸鉄道では運転士が切符回収をしたり車掌の役割を果たしたり、一人何役もこなす(当時)。できることは何でもする、というのは今の時代当たり前だけれど、肥大しきっていた国鉄ではそうはいかなかった。運転士に定められた業務外のことをやらせるとなると組合との交渉になるし、地方も都市も一つの国鉄が運営している以上、どうしても都市部の基準が地方にも適応されてしまう。現場の個々人が気づいた非効率や改善点が絶対に吸い上げられないシステムだ。三陸鉄道はそうした国鉄には不可能だった効率化を行ない、人員が国鉄の3分の1くらいまで圧縮できたのだそう。

 

さらに、自治体が運営にかかわる第三セクターには当然、地元住民の税金が使われる。すると、住民たちには、自分たちがお金を出し合って支えている鉄道、という思いを持つようになる。加えて、JRに見放されたという失望感からの再スタートと、一人何役もこなしながらけなげに頑張る鉄道員たちへの好感も手伝って、住民のマイ・レール意識が醸成されたのではないか。「高校生の態度が違うんですよ。国鉄のときは灰皿を壊したり、ドアを蹴飛ばしたりしたのですが、三陸鉄道になってからは、車両を大事にしますね」と当時の運転士は語っている。

 

また、観光客誘致にも力を入れた。それが各駅に付けたキャッチフレーズに表れている。「鶯の小径 一の渡」「神楽の里 佐羽根」「カンパネルラ 田野畑」……。こういった工夫も、地元密着の第三セクター鉄道ならではのものだと思う。

 

JR化からはずされ、廃線・新設工事中止の憂き目にあった他の自治体は、三陸鉄道に続けとばかりに、第三セクター化へ続々と舵を切ったのだった。本書を読んだぼくは、当然、地元高知の宿毛線のその後が気になった。宿毛線土佐くろしお鉄道として1997年に開業した。ぼくは高知県出身だけれど、この鉄道に乗ったことはない。というのも旧宿毛線の走る宿毛―中村は県西部で、中部に実家のあるぼくにはほとんど縁がないのだ。それに、田舎では自動車移動が基本という側面もある。ほとんどの大人が自家用車を持っていて、県内(どころか四国内)の移動は基本マイカーだ。なのでローカル線の乗客は通学の中高生、高齢者、観光客がおも。しかし、少子高齢化の時代、しかも高知県は人口減少に歯止めがかからず、2019年6月には戦後初めて70万人を下回ったというニュースが全国紙を飾ってしまった。観光客だって……。そう。国鉄に見捨てられるには、それだけの理由がある。悪条件がそろっているのだ。そう思いながら、ネット検索をし、ホームページの決算報告のページを開いた。やっぱりだ。土佐くろしお鉄道はつねに赤字経営だった。

 

こうなってくると、本書では掲載されなかった他の第三セクター鉄道のことが気になり始めた。Wikipediaによると、旧国鉄を転換して第三セクター鉄道となった路線は30超あるが、そのうち4社がすでに廃止となっている。廃止されたのは、北海道ちほく高原鉄道(2006年廃止)、神岡鉄道(2006年廃止)、三木鉄道(2008年廃止)、高千穂鉄道(2008年廃止)。さらに東京商工リサーチが2015年に発表した調査では、旧国鉄転換型の31社中、2015年度決算で経常黒字だったのはたったの5社だった。トップは智頭急行。一方で、最大の経常赤字を出したのはかつての優等生、北越急行だった(理由はすでに書いたように北陸新幹線開業の影響だ)。

 

これから人口減少がますます進むだろうし、地方の過疎化・東京一極集中の流れも止まりそうにない。第三セクター鉄道の知恵がこれまで以上にきびしく試される時代になるのは間違いない。完全廃止になる鉄道もさらに出てくると思う。でも、いまから30~40年前、第三者セクター鉄道として再起を図るという選択は悪くなかったんじゃないかと思う。膨大な無駄を抱えた図体のデカい国鉄を国で支えるのが不可能だったのは明らかなわけで、民営化または廃止はやむを得なかった。でも第三セクター鉄道としてなら、割と有利な条件で敗者復活戦に臨めるチャンスをくれた。智頭急行のようにうまくいけば儲けものだし、うまくいかなくても鉄道を支えるだけの人口や需要が地元にはなかったのだと無念ながらも納得がいく。それに廃止された路線にも第2の人生(国鉄から数えると第3の人生)が待っているかもしれない。

 

たとえば、2008年に廃止された高千穂鉄道は、高千穂あまてらす鉄道として生まれ変わった。通常の鉄道ではないが、線路や鉄橋を転用したアトラクションとして再再起を図っている。目玉は、105メートル日本一高い高千穂鉄橋からの絶景を楽しめる遊覧列車。ほかにも、ちょっとお高いが1万円で本物の列車の運転体験ができるという、鉄道マニアでなくてもヨダレものもの貴重な体験ができるアトラクションも用意されている。2006年に廃止された神岡鉄道のその後の取り組みもおもしろい。残された路線をサイクリングのレールとして転用した。2台のマウンテンバイクつないで作った専用の車両をレールに載せる。その名も「ガッタンゴー」。日頃は入れない軌道敷に入り、大自然の中で快適にサイクリングしたり、トンネルの中を探検できるのだから、これは楽しいに違いない。このアイデア平成24年日本鉄道賞「蘇ったレール」特別賞、ツポーツ振興賞「スポーツとまちづくり賞 日本商工会議所奨励賞」など多数の賞を受賞している。ほかにも、2006年に廃止となった北海道ちほく高原鉄道でも、一部路線を活用して、列車の運転体験ができる「りくべつ鉄道」が開業しているほか、駅舎を道の駅としても転用。2008年廃止の三木鉄道は路線を撤去した跡地を一部、遊歩道として整備し市民に開放している。 

 

こんなふうに、廃止されてからも別の「人生」を用意されるのは、たんに資産を活用するという側面だけではなく、第三セクター鉄道の数十年間「マイレール」として地元住民に愛された結果なのではないか。その意味で、第三セクター鉄道という選択には失敗はないのではないかと思える。